会社で涙がとまらない、適応障害1ヶ月目の療養記

日々のこと

比較的ポジティブなタイプだったので、自分がまさかなるとは思ってなかったのを覚えています。1ヶ月目を振り返ることで自分に足りなかったことを探りたいです。

会社で涙がとまらない

27歳、適応障害1ヶ月目の記録。だんだんと体が思うように動かない。昨日は動けてたのに。
そして体調不良で休みがちになったある日。会社で涙がとまらなくなりトイレに逃げ込みました。
朝礼に参加しなくてはいけないのに、参加できなくて、そのまま体調不良で帰宅させてもらうことに。

次の日からは会社に行くことが出来なくなりました。

仕事、プライベートでも、精一杯だったその頃

発症する数ヶ月前から負担が重なっていたと思います。
第一に環境の変化が一番で、会社の新規営業所の立ち上げメンバーに選ばたことで転勤が発生。
また人手が足らず、会社からは少数精鋭部隊として持て囃されて送り出された感がありました。

しかし、新営業所は過去に僕をいじめていたグループ企業の社員がいるとのことで、内心異動したくはありませんでした。過去人事に希望を出す書類にも書いていたのにも関わらずです。でも会社の方向性としてそうであるなら従わないといけないと思っていたのです。

仕事を進める際に過去いじめられた社員の人と関わらなくてはいけなかったこと。人が足らずなんでも任され、わからないなりに他の支店の先輩に聞きながらなんとか食らいついていました。

この時に自分しかわからない仕事を無くしておけば良かったなと、助けて欲しいと言えていたら違った未来になっていたのかもしれません。

プライベートでも転勤を機に結婚したため、慣れない結婚生活に苦労しました。妻も引越しの環境変化で体調が悪くなっていたので、僕は仕事中も心配で仕事に集中できていなかったです。

また両家挨拶や、親戚への挨拶回りの準備などに、休日は追われて自分の時間が取れなくなっていきました。

コントロール感を失う仕事

次から次に来る仕事が増えていました。上司たちは、あの人は使えない。あの人は使える。と言った話をするようになり、その中に自分も入っているのではないかと疑心暗鬼するようになっていき、ネガティブな話をする上司たち、仕事で役に立っている感覚もわかず、仕事のコントロール感も無くなって来たころ共済のカウンセリングを受けてみることになりました。

病院の受診まで

カウンセリングは電話とメールでできたのですが、電話カウンセリングは担当の方と相性が合わずよくない思いをしました。メールのほうが思いを伝えやすい印象でした。
当時頭の中もグチャっとしていたので、AIを使って文章と頭の中の整理をしてもらい作成したのを覚えています。結果電話とメール両方でも病院の受診を進められ、奥さんが見つけてくれた病院へ。

病院の先生は、自分をダメなやつや、今の状態を迷惑をかけていると思わないでください。会社の上司たちが非道徳的なのです。と言ってもらって、第三者に言ってもらえること自分で自分の心を傷つけていたことに気づいた経験でした。

診断書もまずは1ヶ月分で書いてもらい休職がスタートしました。

まとめ

1ヶ月目のことを思い出そうとすると朦朧としたイメージが今はあります。回復してきていると言うことなのでしょうかね。また同じ状態にならないように以下のことに気をつけようと気づきがありました。

  • 誰かの不機嫌を自分のせいにするのをやめる
  • しんどい時は人に合わないで自分の時間を作る
  • 我慢して仕事を引き受けすぎない、調整できるか相談する
  • 自分の余力を確認する、全部引き受けない
  • 合わない環境を自分のせいにしない
  • 自分は何を大事にしたいかを定期的に確認する
  • 休むことに罪悪感を感じない。休む=戦略

また2ヶ月目3ヶ月目の療養記も書いていきたいと思います。

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